家系図探訪人

家系図や、養子縁組に興味を持っています。史料としては主に新訂寛政重修諸家譜を用います。Twitter:@rekishi290

商家・安井家と成安道頓

今回は上方との関わりが深く、大坂三郷南組惣年寄を代々世襲し、囲碁の安井算哲や幕府天文方となった渋川春海を輩出した安井家について述べていこうと思います。

 

目次

 安井家について

 安井家の祖先

  安井家は、諸書で畠山氏の子孫であるとされている。 足利義純から家国まで(足利義純━畠山泰国━貞国━家国)と定継以下は一致しているが、家国から定継までの系譜は以下の2説ある。

 

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 安井家と『安井家文書』

 安井家は、河内国渋川郡久宝寺村を本貫とする土豪であったが、1615年に大坂の陣で中断していた道頓堀川の開削に功労があり、代々大坂三郷南組の惣年寄を勤めた家柄である。末尾の参考文献に記した『安井家文書』には、諸大名や奉行など幕吏との書状が多く収録されており、河内の一土豪であった安井家が、平野郷の成安家(道頓堀の由来となった成安道頓の家)や平野家とともに道頓堀を開削した土木技術を以て、その助勢を必要とする中央・地方の要人との交渉を保ったことが窺える。

 

 安井算哲と渋川春海

 大坂三郷南組の惣年寄を世襲した安井家にあって特異なのが、安井算哲を祖とする囲碁の安井家と、初代算哲の実子で、幕府天文方となった渋川家の祖である渋川春海である。渋川春海が渋川姓を名乗ったのは先祖が渋川姓を名乗っていたことによる(河内国渋川郡)。彼らの事績については諸書充実しているため本稿では言及しないが、彼らが安井家から輩出されたことは特記しておくべき事柄であろう。

 

 成安道頓について

 道頓は一般に道頓堀の名のもととなった人物と解されており、「安井道頓」の名で知られていたが、彼は実は安井家の人物ではなく、成安姓であったのが定説である。従来では、上記系図の定次の子で、「名成安、入道号道頓」とされてきた「安井市右衛門」に該当する人物は上記系図の市左衛門であろうが、この人物については諱が不詳で、系図によっては定次の孫ともされており判然としない。

 また、『安井家文書』の史料では、ある系図では「市左衛門道也ト号」とあるのが、別の系図では「市左衛門」の下の「道也ト号」の文字の上に異筆で「成安遁世道也後道頓ト号ス」との張り紙があり、さらに別系図では「市左衛門」の下の数文字が削り取られたうえ「久兵衛定吉」の箇所では「平ノ藤次郎同道頓卜三人」の「同」が「幷」と異筆で改竄されている。

 このような系図の不審箇所は他にもあるが、これらを総合すると、所伝の明確でない「市左衛門」の生存年代が「道頓」のそれとほぼ一致するところから、いつの頃か道頓を安井家の人物とするために一部系図が改竄されたことが窺える。

 

 安井家の系図

 安井定継以下の系図は下図の通り。

 

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 参考文献

 大阪市史編纂所編(1987)『大阪市史史料第二十輯 安井家文書』

 高柳光寿ほか編『新訂寛政重修諸家譜

 

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