高家畠山氏(管領家)の系図について
今回は、高家となった畠山家について述べます。
能登畠山氏の子孫も高家となっていますが、今回は管領畠山氏の子孫について述べます。
畠山政信まで
畠山満家から政信までは以下の通り。
満家┳持国━義就━義豊━義英┳義堯
┣持永 ┗在氏━尚誠
┗持富┳政久
┗政長━尚順┳稙長
┣長経
┣政氏
┣政国┳高政
┃ ┣政尚━貞政┳政信 ⇒
┃ ┗秋高 ┣高俊
┣晴熈 ┗政次━久勝
┣政慶
┣晴国
┗細川晴宣
畠山氏の系譜は、内部の相続争いが頻繁であり、 尚順(寛政譜では尚長)以降に各種系図で混乱がみられます。
さて、長寿院盛淳は畠山氏出身で、畠山頼国の子とされていますが、頼国の名を載せている系図が見当たらないため、割愛しました。ちなみに、Wikipediaには、尚順━昭国━頼国━盛淳と載っています。尚順が1475年生まれ、尚順の長子の稙長が1504年生まれ、盛淳が1548年生まれなのを考慮すると、盛淳は世代的には尚順の曽孫という点には辻褄が合います。ただ、昭国という名の人物が見られないこと(世代的に足利義昭の偏諱とは考えられない)を考えると、河内畠山氏の出身とは思えません。九州に下向した畠山直顕らの末裔あたりと考えるのが妥当な気がします。
基玄以降
畠山基玄は、その血統から高家に列せられ、後に将軍綱吉の側用人になり、政信の時代は300石取りであったのに次々と加増があって最終的に5000石の所領となりました。
畠山政信┳基玄┳泰顕
┃ ┣基貴
┃ ┣誠氏
┃ ┗為国
┣義玄┳基祐
┃ ┗義陟┳義典━義方
┃ ┗義学━義敷
┗高玄━高要┳国祐┳政如
┃ ┣義福┳義一
┃ ┃ ┗義宣━義勇
┃ ┣中根正直
┃ ┣内田正房
┃ ┣筧正安
┃ ┣筧正存
┃ ┣至徳
┃ ┣国儔━国祥━基利
┃ ┗林信彭━信寶
┣高祐┳高致
┃ ┣大孝
┃ ┗高命
┗高廣
次回の記事に続きます
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