前回の続きです(前回の記事はコチラ)。
畠山満慶の兄の満家の家系は管領家となりましたが、満慶の家系は能登守護となり、江戸時代には高家に列せられました。
目次
能登畠山氏の系図
備考
松波畠山氏の系図について
松波義親については、畠山義綱の3男という説がありますが、1577年に51歳没と伝わっているため、1554年生まれの義慶の弟とするには無理があります。史料でも義総、義続、義綱で混乱がみられるため、義続の子とした方が整合的であるように感じます。そもそも松波畠山氏の系図の信憑性から疑う必要はあると思いますが⋯
神保氏張以降の系図
寛政譜によれば、神保氏張は畠山義隆の次男で、神保氏純の養子となったとしていますが、疑わしい。参考までに氏張以降は以下の通り。氏久以降は他家からの養子が継いでいます。
氏張┳氏則
┗氏長┳氏勝
┣氏房
┗氏信┳━━━氏久
┣美濃部茂建
┗━戸田忠俊
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