家系図探訪人

家系図や、養子縁組に興味を持っています。史料としては主に新訂寛政重修諸家譜を用います。Twitter:@rekishi290

五代友厚と五代氏系図

今回の記事では、NHKの朝ドラ『あさが来た』でディーン・フジオカさんが演じた五代友厚の五代家について述べようと思います。

 

目次

 

五代氏について 

 五代友厚が産まれた五代家について述べておくと、五代氏の遠祖は鹿児島藩島津家と同じ惟宗氏という。島津家の始祖忠久は源頼朝落胤との説がありますが、忠久は長じて惟宗の姓をとなえ、日向、大隅、薩摩の3国を治めたが、五代の祖先の惟宗の一族は家臣となり、島津氏に仕えたとされています。その後裔は鹿児島康忠に至って五代氏と称しました。康忠の子が師久で、その十数代後が、下図の冒頭にある五代助友となっています。

 島津家総家中の1178家のうち、400石以上は122家、300石以上は165家あったが、石高帳によれば五代友泰は480石2斗、五代友安は377石であり、家格は高い方でした。五代友厚の父である五代秀堯は儒者で、漢学の造詣が深く、奉行を兼ね、碑文や碑銘の揮毫が残っています。薩摩、大隅、日向の地理・歴史を記した『三国名勝図会』の編集者であり、発行人でもあったことから、知識人の家系であることがよく分かります。実際、友厚の兄の徳夫は漢学者になっています。

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友次という名が多いように感じますが、何かあるのでしょうか?

出典史料の『五代友厚伝記資料 第4巻』は誤記もみられるので、誤字の可能性もあると思います。

 

五代友厚の生涯について

 五代友厚は1835年に五代秀堯の次男として生まれる。幼名は徳助、後に才助、号は松陰。友厚と名乗り始めたのは明治以後。長崎遊学、上海渡航、ヨーロッパ留学を経て、開明派として活動した。こうしたなかで、藩の勝手方御用人席外国掛を命ぜられ、ヨーロッパから武器弾薬を購入して幕府との戦争に対処した。大政奉還により懲士参与職外国事務局判事に任ぜられ、1868年の神戸事件、堺事件の処理にあたる。同年、大阪府判事となった。1869年5月、会計官権判事に任ぜられ、神奈川通商司知事を兼任し、横浜転勤となる。外国事務局一同、留任を政府に嘆願したが容れられなかったため、1869年7月、政府に辞表を提出し退官。

 下野した五代は渡欧中に習得した冶金術で金銀分析所を創設し、各藩から買収した貨幣を分析し造幣寮に納めた。当時乱れていた貨幣制度を悪用して外国商人たちが良質の一分銀を持ち去っていくのを防ぐために開設された金銀分析所であるが、これにより五代は巨万の富を稼ぎ、実業家としての基礎となった。

 五代が設立に関わった企業や組織は、金銀分析所(1869年)、堺紡績所(1870年)、大阪活版所(1870年)、堂島米商会所再興(1876年)、大阪株式取引所、大阪商法会議所(1878年)、大阪製銅会社(1881年)、神戸桟橋会社(1882年)、大阪商船会社(1884年)があり、他には天和鉱山、赤倉銅山、栃尾銅山、半田銀山の鉱山経営も行っていた。

 後に五代が東の渋沢栄一と対比され、大阪財界育ての親と称されるようになったのは、堂島米商会所、大阪株式取引所、大阪商法会議所などの開設に敏腕をふるい、指導者として寄与したからである。

 

 と、論文調で書きましたが(以前、五代友厚についてレポートを書いたことがあったので、そこから拝借しています汗)、詳しいことは末尾に挙げた参考文献を参照していただきたいです。五代友厚の生涯については、朝ドラの『あさが来た』の時代考証を担当した宮本又郎先生の『商都大阪をつくった男 五代友厚』を読んでいただきたいです。同書には、広岡浅子や豪商・加島屋久右衛門について書かれているほか、近世以来の大阪経済史や今後の大阪の展望についても言及されているため、非常に読み応えがあるのでオススメしておきます。 

商都大阪をつくった男 五代友厚

商都大阪をつくった男 五代友厚

 

  

五代友厚の子孫について 

 最後に、五代友厚以降の五代家について述べておきます。娘婿として家を継いだ五代龍作は五代友厚の伝記を書いています。宇宙工学者の五代富文さんは龍作の孫にあたります。友厚の実子・友太郎の養子先の野村家は男爵家で(友太郎の養父の野村維章は東京控訴院検事長)、野村友太郎の養子の正二郎も五代友厚の外孫であり、また、野村維章自身も長崎時代から五代友厚と交流があったとされ、五代家とつながりの深い家となっています。

また、久子は五代友厚の部下であり、衆議院議員や大阪商法会議所の会頭を務め、五代亡き後に大阪財界を支えた土居通夫の養女となって、伊達剛吉郎を土居家の婿としています。この剛吉郎は、土居通夫の出身藩の宇和島藩主伊達宗徳の5男です。

 

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参考文献 

霞会館華族家系大成編輯委員会編・発行(1996)『平成新修旧華族家系大成 下巻』

日本経営史研究所編(1974)『五代友厚伝記資料 第4巻』東洋経済新報社

宮本又郎(2015)『商都大阪を作った男 五代友厚NHK出版

宮本又次(1981)『五代友厚伝』有斐閣

 

今回は随分と長文になってしまいましたが、ここまで読んでいただきありがとうございました。

次回は畿内で多くの分家を持った小出家について述べたいと思います。よろしければ下のボタンを押してみて下さい。