今後しばらくは、私の地元・大阪に縁のある家について述べていこうと思います。
今回は、だんじり祭りで有名な岸和田藩主岡部家について述べます。
目次
岡部家について
岸和田藩主岡部家は、もともとは今川家の家臣であり岡部元信らが有名ですが、藩祖の岡部長盛は徳川家康の家臣として大名となり、その子宣勝は岸和田藩主となりました。この宣勝の孫が3代藩主の長泰で、岸和田城三の丸にて五穀豊穣を祈願する稲荷祭りを行い、これが岸和田だんじり祭りの起源とされています。
※ちなみに、だんじり発祥の地は岸和田ではなく、天満や鳳や和泉府中などが発祥の地と言われており、諸説あって確定的ではありません。
昼と夜とで岸和田だんじり祭の様相は大きく変わります。昼は勇壮、夜は幻想的です。
岸和田藩主岡部氏の家系図
さて、ここからが本題で、本稿では岡部長盛の男系子孫について書き出しました。
岡部家は明治維新後に子爵となり、華族として活躍していて、具体的には、最後の藩主長職と長景の父子は大臣を務め、長景の末弟の長章は昭和天皇の侍従を務め、三菱の岩崎輝弥の娘と結婚しています。また、長職三男の長挙は朝日新聞社初代社主の村山龍平の長女と結婚し、村山家の婿養子となって朝日新聞社の社長となっています。
通字について
岸和田藩主岡部家の当主の名には長泰以降は「長」の字がついていますが、岡部家はもともと「綱」を通字としていました。この変化は興味深いと思っています。通字の変化としては、中津藩奥平家は、もともとは「貞」が通字でしたが、奥平信昌(初名は貞昌)以降は「昌」を通字としている例が挙げられます。
また、岸和田藩岡部家と対照的に分家の岡部家の当主の名前は統一感に欠けているのも興味深いです。
編集後記
分家で旗本となった家系や、養子に行った先から続く男系子孫を調べるのは少し骨が折れますが、旗本に関しては新訂寛政重修諸家譜には索引があるので便利でした。その点、家臣になった庶子の子孫は調べきることができませんでした。家臣になった系統では、岡部文錦と岡部竹涯の父子が画家として名を残しており、文錦の作品は岸和田城にて展示されていました。
参考文献
高柳光寿ほか編『新訂寛政重修諸家譜』
霞会館華族家系大成編輯委員会編『平成新修華族家系大成 上巻』
次回は、明治時代に大阪で活躍した五代友厚を取り上げようと思います。よろしければ下のボタンを押してみて下さい。