家系図探訪人

家系図や、養子縁組に興味を持っています。史料としては主に新訂寛政重修諸家譜を用います。Twitter:@rekishi290

洞院家の系図について

今回は公家の西園寺公経の子で後宇多天皇伏見天皇花園天皇の外祖父となった洞院実雄の子孫(洞院家、小倉家、正親町家)と洞院家について述べていきます。洞院家は歴代で大臣を何人も輩出しているほか、有職故実や学問に明るく、『尊卑分脈』の編集や『本朝皇胤紹運録』など、系図研究でも功績を残しました。

 

 目次

洞院家、小倉家、正親町家の系図

洞院家の系図

洞院家の歴代当主

 洞院実雄

 1219-1273。従一位左大臣西園寺公経の子。後宇多、伏見、花園天皇の外祖父で、洞院家の祖となる。次男の公雄は小倉家の祖となる。

 洞院公守

 1249-1317。従一位太政大臣。実雄の子。次男の実明は正親町家の祖となる。

 洞院実泰

 1269-1327。従一位左大臣。公守の子。『徒然草』には太政大臣になれるのに西園寺公衡左大臣止まりを選んだことに感心して左大臣に留まったとする。

 洞院公賢

 1291-1360。従一位太政大臣。実泰の子。『園太暦』の著者として知られる。長男の実世は南朝方につき、南朝方の左大臣となっている。

 洞院実夏

 1315-1367。従一位内大臣。公賢の子。兄の実世が南朝方についたため、当初は公賢の弟の実守が洞院家を継ぐ予定だったが、観応の擾乱の混乱で南北朝を行き来した実守ではなく一貫して北朝方についた実夏が洞院家を継いでいる。

 洞院公定

 1340-1399。従一位左大臣。実夏の子。系図集である『尊卑分脈』の編者として知られる。『尊卑分脈』の編集はその後も洞院家で続くことになる。

 洞院実信

 1357-1412。正二位権大納言。正親町忠季の子。公定の養子となる。

 洞院満季

 1390-?。従一位内大臣。実信の子。公定の猶子となる。皇室の系図をまとめた『本朝皇胤紹運録』を作成している。

 洞院実煕

 1409-1459。従一位左大臣。満季の子。有職故実に明るく『名目鈔』を編んだ。

 洞院公数

 1441-?。正二位大納言。実煕の子。経済的に困窮したためか、1476年に代々の書物を売却し、出家して自ら洞院家を絶家させている。

 洞院公連

 1473-?。正三位。西園寺実遠の子。本家筋の西園寺家から洞院家を再興したが 、1501年に出家する。

 洞院実賢

 1499-?。西園寺公藤の子。公連の甥。以後洞院家の名跡が再興されることはなかった。

 参考文献

 『宮廷公家系図集覧』(1994)近藤敏喬編、東京堂出版

 

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